Last Exit 独り言

生まれることは選択できない

皆さんこんにちは!

イタリアやアメリカでのコロナウイルスの感染が大変なことになっていますね....胸が痛むばかりです。

ブログのテーマが食べ物ばかりなので、今回はもっと踏み込んだ生と死についてのエッセイでも書き留めようかなあと思います。

と言うのも昨日友達との電話の会話にて下記のような話題になったからです。

友達「そういえばコロナウイルスやばいよね。死者も増えているし。。でも、コロナウイルスで社会が混乱してきている中で、みんな何で生きることに対して必死なれるのかなー。私は、生きることより死ぬ方が楽だと思うだけれどもな。」

俺「でも死ぬって苦痛じゃない?例えばガンで死ぬ人はめちゃくちゃ苦しんで死ぬって聞いたことある。」

友達「でも、死んだらその苦痛もない訳でしょ。生きるれば辛いことも続く訳だし、それなら死ぬ方が楽だと思うな」

俺「確かに...」

注釈しておくけれども友達は病んでいる訳ではなく、純粋な疑問を問いかけただけだよ。

確かに生きるのは辛いこともあるよな...むしろ生きていく中で、幸せなことよりも苦痛の方が遥かに多いと思う。巷で売られている多くの自己啓発書にも、苦痛は幸せになるための経過と記載されているし...

そう考えてみると、そもそも幸せという前提に苦痛があるような気もするよね。

日本では、生きることに対して前向きになれず、自殺を選択してしまう人も多いと思う。

でもそこからふと思ったのは、自ら死を選択することはできるのに、自らは生まれることを選択することができないということ

極論、誰もが好きで生まれてきたわけではないということ。

にもかかわらず、生まれた以上どんなに辛くても苦しくても生きていかなければならないとは、なかなかの拷問だなと思うんだよ。(悲観的かな)

そして僕たちは、

・勉強しないといい会社に入れないよ。

・AIが仕事を奪うから、思考を転換しろ。今ある仕事は将来なくなる!

・いい歳してワンピースなんてあり得ない!

・男なんだから男らしくしろ!女は大人しくいろ!

とかとか社会の強制やリコメンドに否応なく晒される。

そして僕らは生き残るためにこうした社会の強制や喧伝されたリコメンドを飲み込んでいかざるを得ない訳だ。

でも誰もが誰しも、こうした社会の変化や見えない圧力に屈服できるほど適応能力はあるの?優秀なの?適応したとして、それは幸せなの?と思ってしまう。

それに対して、社会や見えない圧力はこう言う。

「そんなのは、甘えだ。」

「変化についていけないのは自己責任」

と。

そんなわけで、僕たちは生まれながに生き残りをかけた競争という社会の歯車の一部となって、見えない圧力によって磨耗していくわけなのだ。そして変化に適応して努力を続けない限り僕らは生き残ってはいけない。

大袈裟かもしれない? 考えすぎ?

でも、現実に社会の見えない圧力からくるストレスによって精神を磨耗し自殺を選択してしまう人もいるのも事実なのだ。

でも考えて欲しい。

さっきも言ったけど、僕たちは自分の意思で生まれたわけではない。

そう考えれば、そうした見えない社会の圧力による強制や、そこに反抗したことによる自己責任論なんて糞食らえなわけだ。

無論そうしたことに耳を傾けるに値する価値はあると思うが、それを過信して社会の歯車の一部になる必要はない。何故なら僕たちは生まれることを選択したわけではないので、そこに見えない圧力が唱えるであろう自己責任論などは適用されないからである。

しかしまあ生きていく意味なんて正直ないと思う。生物学的にいえば子孫繁栄であろうが、知能や理性が発達しすぎてしまった人類の存在意義を子孫繁栄と結論付けることはできないと考える人が大多数ではないだろうか。

なら、せめて生きることに対して前向きな意味づけをしていこう。

・モテたい。

・困っている人たちを助けたい。

・お金持ちになりたい。

・好きな人と一緒にいたい。

・優しくなりたい。

・成功したい。

とかとか何でもいいね。

僕らは生まれることを選択できないのであれば、せめて幸せになるための選択をしていくしかない。

たまには見えない圧力の声に耳を傾けてもいいのかもしれないが、それはあくまで幸せになるための選択の手段であると考えた方が、きっと生きるのが楽だ。

友達との会話に戻ろう。

詰まるところ、生きることよりも死ぬことの方が楽かもしれないから、その考え事態を否定するつもりもないし、否定もできない。

この世界に絶望を抱き、自らで責任を持ち人生を終わらせた人たちを誰が責められるだろう。

けれども僕たちは、生きている限り幸せを選択していくことができる。

「自らの意思でこの世に生を受けるという選択」を剥奪されているなら、その対局に存在する「自らで幸せになる選択」は認めなれなければ整合性がないと思う。

そしてその幸せになる選択していく権利は、日本国憲法13条に定められているように最大限尊重されるもので誰からも剥奪されることはないだよ!

真面目な話になってしまったけど、要は「幸せに生きよーぜ☆」ってこと。

なかなかそれが難しいんだけどね笑

とまあ、今日はこの辺でバイバイ〜(^_−)−☆

-Last Exit 独り言

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